2017年8月17日木曜日

ゲストハウス用物件探しのなか、考えたこと。

2012年から一年間に及ぶゲストハウス用物件探しでしたが
この間は、物件が見つからない限りとくにやるべきこともなく
よく考えごとをして、自分の中のことを見つめる時間が多かったです。

実は2012年に入ってすぐ、当時住んでいたマンションを売ったので
資金的には結構余裕がある状態になりました。
(余談ですが、このマンションは2005年に購入したもので、1981年築の物でしたがその後のリノベーションブームと立地の良さで、購入した時の値段よりかなり高く売れました。次男が誕生した2005年、ゲストハウス開業の夢は諦めていました。そして、ゲストハウス開業用にと貯めていたお金はこのマンションにつぎ込んだので、まさかこれが後々ゲストハウス開業資金に一役買うとは夢にも思いませんでした。)

一番重要と思っていた「お金」という条件がそろったのです。

・・・が、お金はあるのに場所、「物件」がない。

何が足りないんだろう?

・・・物件探しは「運」次第ではないか?と今になってみれば思います。

うです。私たちには
「運」
が足りませんでした。

足りてませんでしたって言ったって、運なんてどうしようもないでしょう~と私たちも思っていました。

が、意外に簡単なことで運というものは身につけることができることを知りました。

運というものは、どうにもならないものとあきらめていませんか?

次は運を良くする方法を書いてみたいと思います。




2017年5月23日火曜日

ゲストハウス開業に向けて動き出す

東京・月島での10年で私たちは再び元気を取り戻しました。
元気になってくると、夢に向かえる力が出てくるものです。

2012年4月から本腰を入れて物件探しが始まりました。
といっても、イサは仕事でほとんど家にいないし
私一人で探すことに。

最初は開業したい土地に行って、不動産屋さんを見つけたら
「ゲストハウスやりたいんですけど、いい物件ありませんか~?」
と聞いていました。
でも、当時これだとほぼ門前払いで、嫌な顔をされて当たり前。
すぐに精神的に疲れてしまう、ダメな私でした。

そしてダメな私がとった方法は
ヤフー不動産で検索、でした。
①夜な夜なパソコン相手に物件を検索・・・
②条件が合いそうな物件があると、google mapで場所を特定し
③ストリートビューでチェック、建物の外観が気に入れば
④現地に行ってみて更にチェック
⑤良さそうだったら、不動産屋さんに連絡して中を見せてもらう
ということをしていました。

この当時は今より物件が多く出回っていたと思います。
東日本大震災の1年後ということもあり、
古い建物をゲストハウスや何かに転用しようという動きが
一旦鈍くなっていた時期でした。
そのため割と買い手側がまだ、わがままを言える状況でした。

結果的にこの方法で1年後に、今の蔵前の建物を見つけました。
実際に物件の内見までいったのは一年で5軒ぐらい。

決め手は・・・
「勘」
でした。

今思っても本当にダメダメな物件探しでしたが、奇跡的にいい建物に出会えたと思います。

ゆみこ

2017年3月6日月曜日

月島での生活が教えてくれたこと

2004年8月。
夜逃げこそしませんでしたが、かなりな失敗感と共に
古巣、月島へと戻ってきた私たち。

いい年して、子どもまでいて、いつまでもバックパッカーに未練があって。
本当に条件のいい仕事辞めて世界一周なんて。

それがいけなかったのだ。
これからは心を入れ替えて精進しよう、と。
今までの浮ついた気持ちを恥じ、
海外放浪のことはひた隠して、真面目に生きようと決心しました。

好きなことをして自由な生活のほうが素敵?
同じ会社に勤めて、地元の人と付き合い
真面目にコツコツやることは馬鹿らしい?息苦しい?

そう考えるのも真理です。
が、問題はそこではない。

生活のスタイルをどうするか?
環境を変えればより良い人生になるのではないか。
人はつい、そう考えてしまいがちですが
そこではないんです。一番に変えなければいけないものは。

どうして自分は不幸なんだろうと感じた時、自分以外の回りに原因を探してしまいます。
そして、それは大抵変えようがなくて、絶望します。

だけど、運命は変えることができます。
なぜなら、不幸の原因は必ず自分の中にあるものだから。
他人は変えられないけれど、自分は変えることができます。

何が自分に足りなくて、直さなければならないのだろう?

月島という土地は私に考える時間をたっぷりくれました。
私に足りないものは
コツコツ頑張ること。
小さなことを大切にすること。
続けるということ。
感謝すること。

32歳の挫折でした。



2017年1月27日金曜日

帰国後の生活②

2000年に世界一周旅行から帰国した私たちは
宅配専門寿司店に勤務し3年半、過酷労働の末退職することになりました。

その後は以前勤めていた築地市場の荷受会社の先輩の紹介で
イサは築地の魚類仲卸業者に勤めました。

結婚してすぐに住んだなじみのある土地。
一緒に子育てした月島の人たちが温かく迎えてくれました。
本当にありがたかった。

本当に疲れ果てていましたから。

世の中をなめて「好きな時に好きなことをするんだ!」とか言って
迷惑こそかからないにしても、だれの役にも立たないようなことを
いい年をしてやるのは良くありません。
そういう事をして許されるのは学生までです。

そのツケが来たんだと思いました。

私たちはすってんてんになって元住んでいた土地に帰ってきたのです。
でも、誰もそのことを笑ったりしませんでした。
深く深く反省しました。

これからは誰かの役に立つことをしよう。
みんな誰かのために一生懸命働いている。

そのことがとても尊いと思いました。

でもフラフラしていた私たちに出来ることはなかなかなくて。
相変わらず、今もそうですが、周りの方々にお世話になりっぱなしです。

月島での居心地の良い生活はそれから10年続きました。


ゆみこ